平成25年度 年賀寄附金配分事業

震災の経験に学ぶ自然との共生のあり方、子どもたちとつくる未来の森のための「森の実験基地」事業

岩手県岩泉町をフィールドとして、地域性を活かしながら四季のさまざまな体験を通して、子どもたちと一緒に森の未来への可能性を探る「森の実験基地」事業を行いました。震災の経験を通して、もう一度、地球環境の保全、自然と人間の共生の姿を見つめ直します。自然エネルギー、エコの発想、森の楽しさ、雪の遊び、名人との出会い、被災地を訪ねる。そこから得た成果を「森ワークブック 森と水の国 岩泉」として小冊子とDVDをつくりました。

この冊子とDVDの製造から輸送、廃棄までに発生するCO2は、森林由来のJ-VERクレジットで、カーボン・オフセットしております。

※カーボンオフセットとは、個人や企業の活動などから排出されるCO2量を認識し、どうしても削減できない量の全部又は一部を、他の場所での吸収量などでオフセット(埋め合わせ)することをいいます。

岩泉町の森の実験基地「配羅の郷」

2012年より、MORIMORIネットワークが一般社団法人グリーンカレッジ岩泉、岩泉の町民のみなさまと連携して新たに始めた事業です。まずは、2012年に岩泉町初めてのツリーハウスをつくりました!

森の実験基地とは、森の楽しさ、森の面白さ、森のあらゆる可能性を次世代に伝えて行こうという趣旨で、エコの発想、自然エネルギーの活用なども視野に入れて活動を行っています。

配羅の郷は龍泉洞青少年旅行村から「神成里道」でつながっています。
今回の事業のプログラムのいくつかは、この基地を使って行われました。

これまでの活動については下記からご覧ください。

森のプログラム

1 おがくずトイレをつくる

「エコ」の発想で考えられた「森のトイレ」です。おがくずトイレは水も電気も使わず、おがくずを使うエコな考え方のトイレです。清潔で、臭いもほどんどありません。

使用方法は、使った後に、おがくずを少し入れ、手でハンドルを回します。こうやって酸素を送り込むとバクテリアが活発になりきれいにしてくれます。

「ツリーハウス」の次には「おがくずトイレ」をつくりました。ツリーハウス式おがくずトイレです。

2 森の観察会

観察会の先生は「森の案内人」の佐々木保美さん。この森の持ち主。森のことなら何でも知っています。虫カゴとあみを持ってはりきって子どもたちは出かけました。昆虫や植物を探しながら森を歩くと、いつもの森とはちがってみえます。転がっている木をどかして小さなカニを発見!きのこもたくさんみつけました。森の大切さ、森の楽しさ、いろいろなお話を聞きました。

3 森のパーティ

森でパーティをひらきました。メニューは大好物のカレーライスです。
薪を割って、ごはんを炊いて、野菜を切って…ハシも自分でつくります。
森のカレーライスが出来上がりました!

4 ツリークライミング

ツリークライミングは、アメリカから始まったもので、ロープや専用の器具をつかった本格的な木登り。自分の足で登る木登りも楽しいけど、もっと、高いところに登れます。専門のインストラクターが指導してくれるので安全です。

5 キャンプファイヤー

ファイヤーストームを囲んで、山の神様、火の神様、そして森にすむ精霊たちに感謝をします。明日もいい日でありますように祈ります。夜の森は昼間の森とは違います。真っ暗な森を体験することは、ちょっとこわいけどぜひ体験してみましょう。

6 雪遊び

日本の中でも北にあるところは冬が長いのです。岩泉の冬は11月の終わりから3月の中頃まで。冬だからこそ、外でできる遊びをしましょう。まず、スノーシュートレッキングに挑戦。スノーシューをはけば雪の上でも大丈夫どんどん歩いていけます。他にも雪の中の遊びはたくさんあります。ソリに乗ったり、雪合戦したり。すべったり、転んだり…雪の中はいるだけで最高!

7 川下り

夏のあそびは川下りです。岩泉には大きな川が3つあります。小本川、安家川、摂待川です。中でも渓谷の間を流れて海にそそぐ小本川は景色の変化や流れの変化が楽しめるので、川下りには最高。岩泉には海水浴場はないので、海で泳ぐことはできませんが、川下りは山と川を一度に楽しめて、冒険心をそそられます。

8     被災地を訪ねる

東日本大震災に学ぶ。2011年3月11日仙台市沖を震源地とする大きな地震が発生しました。これにより巨大な津波が東北地方の海辺の町を襲い、多くの方が命を失い、家屋が流されました。岩泉も海辺の小本地区が被害に会いました。その経験を教訓としてほしいとの思いから被災地をガイドさんが案内してくれます。この大きな自然災害から多くのことを学びましょう。

ツリークライミング・キャンプファイヤー・被災地ガイド
協力:昭島市の子どもたちと岩泉の子どもたちの国内研修交流事業

雪遊び・川下り
協力:ふるさと少年隊

9 森と暮らし

岩泉の名人・達人たち

古代から続いて来た森の暮らし。そこには、今、大切なこと、未来に残したい事がたくさんあります。森のくらしの達人たちに話しを聞きました。

<川釣りの名人>
安家川は川釣りでは有名な場所。3月に解禁になるとたくさんの釣り人がやってきます。川に沿って森の中へどんどん入って行くとイワナやヤマメなどの川魚がいます。上流は流れが早いのですが、釣り名人が釣り糸をたらして、じっと待っていると澄んだ川を魚が泳いできます。見事に釣り上げた魚は食べる分だけ持ち帰り後は川に戻します。

<炭焼き名人>
道地文太郎さん(87歳)
一番炭焼きがさかんだったのは、昭和16年頃戦争中です。その時代は炭が大切な燃料でした。ところが、昭和36年頃にガスが入ってきて、徐々に炭を使わなくり売れなくなりました。そのあと必要なのはバーベキューとかお茶事とか…。それでもずーっと続けてやってきたんです。炭の材料になる木はおもにコナラです。炭を焼くには、山から伐ってきた木を窯に並べて乾燥させます。火をつけると、初めは煙突から煙がボーボーと出ますが、それがモコモコに変わる。次に窯の口をふさいで、空気を調整する小さな穴だけを開けておくんです。炭が焼けて、空気孔をふさぐと自然に火は消えます。それから3日経つと、中に入って炭を取り出せる温度になります。静かに焼く炭がいい炭になるんです。

<牛の爪切り名人>
岩泉では、昔から牛や馬とともに暮らしてきました。安家の畜産家合砂哲夫さんは牛の爪切りの名人です。爪切りは特殊な仕事で町内には一人。住み込みで弟子入りをして教えてもらいました。最初は蹴られたりするのでこわいですが、牛は記憶力がいいから、触ったり、声をかけたりして、前に来た人だとわかると安心してくれるそうです。牛ももちろん、動物はみんなとても敏感なんです。

<岩泉伝統料理の達人>
坂本シゲさん(88歳)
「よもぎばっと」を今日は小麦粉で作ったんですが、昔は米ヌカ、炒りヌカで作ったんです。白米を食べるようになったのは戦後です。「むんけいぞうすい」っていって、麦をおかゆにして大根、にんじん、ごぼうを入れてそれが主食でした。冷蔵庫もなかったから、土を掘ってりんご箱を入れて、食べものはふきの葉で巻いて保存しました。豆腐のおからも野菜のハシもなんでも使いますから、私は捨てることをしません。地震、津波、戦争を体験しましたから、食べ物の大切さがわかっています。食べ物というのは、心をこめて作ればおいしい料理になります。岩泉は山へ行けば、山菜やきのこがたくさんあるすばらしいところです。こうして料理をつくりながら、昔の人の知恵を伝えていきたいと思っています。

* シゲさんのお昼ごはん

シゲさんのお昼ごはん

シゲさんのお昼ごはん

手前 左:しその実とみょうが塩漬けと、サケの味噌漬けのおむすび
右:八杯豆腐(はちはいどうふ)おいしくて八杯食べるからそういいま
す。お塩とお醤油少々の汁に、千切りにした豆腐を入れ、のりとさ
らしネギをのせてまぜて食べる。
中央:よもぎばっと
奥  左:きゅうりと大根とウドのつけもの
右:自家製キムチ

<家具づくりの達人>
工藤宏太さん(岩泉純木家具有限会社/社長/66歳)
大学を卒業して岩泉に戻り、父がやっていた製材所に入りました。岩泉は、家具を作るのに適した広葉樹の多いところで、200年、300年生きてきた立派な木がたくさんありました。ところが製材所では、それを薄い板にしてしまいます。ある日、機械で木が切られる“キーン”という音が、木の悲鳴のように聞こえて、何とか木の命を大切にする仕事が出きないかと思ったのが、家具作りをはじめたきっかけです。「300年生きてきた木は、300年使える家具に」それが私の思いです。心をこめて作れば大切に使ってもらえる。広葉樹は300年生きるのですから、生きた長さだけ使ってほしい。そうやって、木の大切さを伝えていきたいと思っています。

<手仕事の達人たち>
岩泉のことばで「てど」は「手をつかった技=技術」のことをいいます。山里の暮らしからはさまざまな「てど」が生まれました。うれいら商店街にある「てどの蔵」では、わらじ作り、機織り、陶芸など、職人さんが実際に作っているのを見たり、体験したりもできます。ものを大切にする気持ちが伝わってきます。

<酪農の達人>
吉塚公雄さん(田野畑山地酪農牛乳株式会社/社長/62歳)
山地酪農というのは、自然をいかした酪農で、放牧地となる山に生える草を牛が食べて育つ方法です。牛は草でお腹が一杯になると2~3時間眠り、また起きて食べてお腹が一杯になると、2~3時間眠ることをくり返します。その牛から乳をしぼるのですから、食べるものがいかに大切かわかると思います。広い牧場の緑の草の上で、白と黒の牛が草を食べている光景をみると、そのすばらしさにいつでも感動します。20年前に、田野畑の子どもたちが描いた100年後の夢は、ビルが建ったり、飛行場が出来ることでした。でも、東日本大震災後は海を取り戻すことです。失ってはじめて大切さがわかるんですね。これからは、足元にあるものに目を向け、そのよさをいかした産業を生み出していくことです。

<岩泉の歴史を知る>
工藤健さん(横屋建設会長 95歳)
製糸工場を叔父が造り、その生糸をアメリカへ輸出したらとても好評で、本当によく売れたんです。その頃は、山に囲まれたこんな田舎ですから、生糸と蚕で生計を立てたのです。今でいうならトヨタや日産のようなものですね。唯一の輸出産業を岩泉はやったんです。えらいもんですね。

昭和5年(1930年)明治乳業がここに工場をつくったんです。でも岩泉では、その前から小泉家は酪農をやっていました。明治政府の偉い人たちが岩泉に来られたとき、小泉さんとこの牛をみて、ビックリ!したのです。ここの牛は背の低い赤い南部牛で、荷物を運ぶ牛だったんですから。明治28年(1985年)に小泉市兵衛さんは、牛乳の牛、ホルスタインを横浜にあったアメリカ人の工場から連れてきて、それが酪農の始まりだそうです。岩泉は製糸工場と牛、つまり酪農で栄えたんです。こんな山の中の田舎で。エライもんですね。

森のワークブック「森と水の国 岩泉」小冊子とDVDの紹介

今回のプログラムは、この小冊子とDVDで詳しく見ていただくことができます。Mori14_0117_07
定価 500円(税込)
お申し込みはこちらから

NPO法人MORIMORIネットワーク
TEL 03-5226-3305 FAX 03-5226-3322
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